murasaki

記憶の記録。あるいは独白。
おれ、バルサに入る! / 久保 建史

久保建英日本代表招集記念!

というわけではないのだが、良い本だったので紹介。

 

■概要(Amazonより引用)

2011年、スペインサッカー・FCバルセロナ下部組織に日本人として初入団したのが、久保建英君。原則として地元出身、例外を認めても13歳以上の少年しか入団できない最強軍団に、なぜ9歳の少年が入れたのか? そこには、メンタルと体幹を鍛えた9年間の工夫があった! ベビーカーは使わずにはだしで外遊び、テレビは見せずに週20冊本の読み聞かせ――平凡な会社員一家の非凡な子育てを、父が大公開! 今日から親子でできる、23種の練習メニューつき。

 

■所感

ここのところ毎週久保建英の活躍を見るのが楽しみでFC東京の試合を観ている。彼の魅力は大きく2つあり、1つは局面の判断の良さ。今まで”天才”と言われるような、ドリブルや身体能力に特徴のある若手は多数存在したが、彼らの多くが持たなかった判断力と意思を久保からは感じる。

もう一つはやはりそのコメント力で、常に的確な分析を基に自分の言葉で明確に語ることができる。この年代では”良いコメント”と言われるものの多くも、どこからか借りてきたような月並みなコメントが大多数を占める中、自分の正直な思いを自分にしか言えない言葉で表現できている。この能力は、この年代どころか、サッカー選手全体を見渡しても抜群と感じる。感性だけでない、知性を兼ね備えた能力の高さという意味では、中田英寿以来の才能といった感じがする。

 

で、そんな日本人離れした本人のルーツがやはり知りたくなる。どうすればこんな選手、というかこんな人間が育つのか。それを知りたくて本書を読み始めた。

ちなみに本書が発行された当初は、「親が出しゃばってきたな」「メディアに踊らされてんな」と穿った見方をしていた。これとかこれみたいに。だが実際に読んでみればわかるが、その内容には親のエゴや自己顕示欲は一切感じない。当時過熱していた報道に対して、きちんと自分の言葉で周囲のニーズに対して応えようとする、父親久保建史氏の真摯な思いを感じるのみだ。

 

氏の教育は、「バルサ養成徹底特訓」みたいなものでは決してない。「子どもに何か強みとなるもの、自信になるものを持たせたい」という思いの下、子供の内側の意思を引き出し、そこに全力で寄り添うことを重視している。それが久保建英の場合はたまたま「バルサに入りたい」との思いだっただけ。

ただ、その寄り添い方は半端ないものがあり、様々な情報源やヒアリングを通じてバルサに行くための現実的なルートを探したり、毎朝出勤前に公園で1時間程度、バルサで求められるプレースタイルのための練習を行ったりしている。子供に”夢を持て”という親は多いし、親が思う”こうなってほしい”を徹底して押し付けることはよくあると思うが、子供本位の夢を肯定し、その夢の実現に親がこれだけ手伝うというのは中々できることではない。

 

また、ピッチ外の人間形成面においては、母親の教育方針が実を結んでいる感がある。自分の意思を明確に持ち、ストレートに表現できる人間になってほしいとの思いから、徹底して外遊びをさせる、年長者がいる環境にあえて入れる等、子供が自ら感じ考える環境に飛び込ませ、そこで生まれた子の主体的な行動をとことん褒めて育てている。特に子供の育つ環境については、幼稚園だろうがグループ活動だろうがサッカークラブだろうが、きちんとその組織を観察し、目的をもって加入させている。

少年サッカーレベルだと、自分の経験上、まともにコーチングやティーチングの技術を学んでいないような未熟な指導者もまだまだいる中で、親のこうした関わり方はすごく大事だと思う。

 

実際今の久保を見ていると、こうした教育の影響を強く感じる場面がある。典型的には試合後のコメントだが、久保のコメントの何が良いって、まずプレーとその時の判断を細部まで覚えている”記憶力”、そして自分の思いに正直であろうとする”誠実さ”、更にそれを月並みな言葉に逃げず、自分ならではの言葉に置き換えて話そうとする”主体性”である。

このあたり、本書に書かれている以下のような取り組みを知ると、すごく納得感がある。

  • 考えて話す習慣をつけるー「昨日何があった?」「誰と遊んだ?」「楽しかった?」「つらかった?」
  • 試合後の会話を大事に −「楽しかったか」「何がたのしかったか」、自分の気持ちや感想を言葉にして伝える機会が重要
  • 試合の振り返りはプレイを記憶するため。それができるようになると、改善を元にした練習も上達が早かった

 

本書を読んだからというわけではないが、最近、親が子供の意思を引き出し、時間をかけて関わることの重要性を強く感じる。

子供の人生はもちろん子供の責任が一番大きいし、親に放置されていたとしても子供はそれなりに育つだろう。当然、親に教えられなかったことも自分の体験を通していつか”気づく”ことはできる。ただ、この”気づき”は、気づくのが遅すぎることもあると思うのだ。もっと早く気づいていれば、より多くの選択肢と大きな可能性をもって人生を歩むことができたのではないかと。

 

自分の経験で言えば、周囲の人間が自分の中に夢や目標を持てず、企業のブランド力や報酬といった相対的・外発的な動機ばかりで自分の人生を測っていることがよくある。他人との比較でモチベーションを上げる効果自体を否定するつもりはないし、必要な場面はもちろんあるが、それを突き詰めても、その先に待っているのは常に他人との比較である。その結果、先に待っているのはいつも物足りなさと自分の限界であり、最悪の場合は能力的な壁にぶつかり立ち直れず、身体を壊すことすらよくある。

彼らにとっては、”自分の中の目標を持て”とか”比較でなく自分の達成感を大事にしろ”とか言われたところで、理解はできても今更実践することはすごく難しい。つまり、親の教育が20代後半から30代といった”大の大人”になってから大きな迷いをもたらすという残酷さも見えてくるわけだ。だからこそ久保家は人間形成においてとても良い教育をしているように思える。

 

もちろん久保建英が今後どうなっていくかはわからない。この途方もないような高さの期待値に沿った活躍をしていけるのかはわからないし、そもそもそれは恐ろしくハードなミッションだ。しかし仮にサッカー選手として大成しなかったとしても、久保は自分の意思で自分が満足できる人生を歩んでいけると思う。そしてそれこそが、バルサよりも日本代表よりも何よりも、久保の両親の願いなのだと思う。

 

 

■メモ

  • 子どもに何かを強みとなるもの、自信になるものを持たせたいと考えて子育てしてきた
  • 6歳の子どもがバルサに入りたいと言ったからって、本気になる親がいるのとビックリされるかもしれないが、自分たちにとっては自然な流れだった
  • 長男だけど次男のように育てたい。長男は周りを見てすぐに行動できない。やさしさがあるが、自分の気持ちをストレートに表現できない。次男は長男たちと遊ぶから、待っていても順番がこなくて、積極的に工夫せざるをえない。年の差も気にしなくなる(→外遊び、自主保育)
  • 縦のつながりを重視する幼稚園の方針
  • 外遊びをするためには家の居心地がいいとダメ
  • 出来なかったことができるようになる体験は、子供にとって大きな財産になる
  • 小さいうちは、いつも何かほめることがないか探すくらいでちょうどいい
  • テレビを見せなかった。恐らく情報量の多さとスピードン位圧倒され、何も考えていない状態になる。実際、子供が魂を抜かれたような顔を見せる時がある
  • 考えて話す習慣をつけるー「昨日何があった?」「誰と遊んだ?」「楽しかった?」「つらかった?」
  • ミニゲームは必ず子供の勝ちで終える
  • 5〜8歳のプレゴールデンエイジは、様々な刺激を体験させることが重要、ゴールデンエイジ(9〜12歳)は新しい動きを即座に身に着ける臨界期、スキルを獲得しやすい、足元の技術を身につく時期
  • とりあえず蹴っとけシュートはやめさせる
  • 子どもが嬉しいのは「ほめられたとき」「勝てたとき」「うまくいったとき」
  • 試合後の会話を大事に −「楽しかったか」「何がたのしかったか」、自分の気持ちや感想を言葉にして伝える機会が重要
  • ある日息子から「やりたいサッカーと違う」と相談があった。私は「コーチにやりたいサッカーを伝えたらどうか」とアドバイスした
  • フロンターレでは年に一度保護者会がひらかれ、チームの育成方針が説明される
  • 試合の振り返りはプレイを記憶するため。それができるようになると、改善を元にした練習も上達が早かった
  • 欧州の名門では何歳で何を学ばせるか明確な指針がある
  • 「サッカーに教えすぎはない」が、選手自身が考える余地を持たせることが重要。試合中は子供の判断を尊重し、「クリア」「シュート」「戻れ」「パス」などのプレイを決定づける指示をしないこと
  • スクール選択に目的をもつ −_燭魍悗个擦燭いを選ぶ前に明確にしておく、↓,六期によって違う、,鬚ちんと先方に核にする、こ謄好ールの情報はスクール性保護者の情報を参考とする、ノ習の体験をする、ΔΔ泙せ劼参加しているか、ともに切磋琢磨できるか、Д魁璽舛一人ひとりをみてくれているか、┘魁璽舛真剣に考えてくれているか

 

以上

| 小説・エッセイ | 23:35 | comments(0) |
風の声が聞こえるか サッカーボーイズU-17 / はらだ みずき
評価:
はらだ みずき
KADOKAWA
¥ 1,620
(2017-10-26)
コメント:風の声が聞こえるか サッカーボーイズU-17 / はらだ みずき

■概要(Amazonより引用)

いつか応援席ではなく、 芝生のピッチに立ってやる。熱き高校サッカー小説

県立青嵐高校サッカー部の武井遼介は、2年に進級してもAチーム入りが叶わず、Bチームでもがいていた。県3部リーグ優勝を目標に戦う中、遼介はチームのエース・上崎響と試合中に口論となり、衝突してしまう。上崎は、サッカーに対して迷いを抱えていた。インターハイでは、スタンドで応援役にまわる遼介らBチームの部員たち。Aチームのために声を嗄らし、練習を重ねた応援歌を熱唱するが、遼介の胸には、このままでは終われない、という気持ちが強くなっていき――。

 

■所感 ※若干のネタバレ含む

以前紹介した『サッカーボーイズU-16』の続編にあたる本書。前作でも異質な存在感を放っていた「上崎響」を中心とした物語となっている。

相変わらず描写が丁寧で、自分の高校サッカー部時代なんかを思い出しながら、終始頷きながら読んだ。特に上崎のような、見た目がシュっとしていて、テクニックがあって、運動量がなく、そしてどこか集中力や規範意識が欠けた、何を考えているのかわからない、カリスマ的な選手っていたな〜と。この類の選手は本当扱いずらく、実際本書の上崎もチーム内で治外法権的な扱いになっている。モノを言うとすれば、監督やコーチしかいないのだが、彼らも彼らでその世代のエース格だけに扱いずらそうにしている、というこのあるある感。

で、そんな上崎に対して、主人公遼は怒りのような、嫉妬のような、期待のような複雑な感情を抱き、やがて衝突するわけだが、自分からすれば「わかる、わかる」という感じで、本当に感情移入して読んでしまった。そして、そこからの本当の意味での「チーム」が形成されていく過程はなかなか感動的だった。

次回はまたややこしい1年生なんかが入ってきたりするのだろうか。早く次回作が読みたい。

 

以上

 

| 小説・エッセイ | 10:46 | comments(0) |
高校サッカーボーイズ U-16 / はらだみずき

■概要(Amazonより引用)

2011年、高校生になった武井遼介は、関東の強豪サッカー部に入部する。東日本大震災から1ヶ月、ふつうにサッカーができる現状に葛藤を抱きながら、遼介は新入部員約50名でスタートした部活に励む。しかし、全国大会を視野に入れたレベルの高い部内では、1年生チームの中ですらポジションを確保できずにいた。やがて1年生は2チームに分裂し、紅白戦が開催されることに。勝敗によって両チームの選手を入れ替えるサッカー版“大富豪”という特殊ルールで、遼介はチーム内での立場を思い知らされ、夏の1年生大会、ルーキーズ杯へと向かう―。無名の高校生16歳、リアル青春サッカー小説。

 

■所感

このシリーズは第1作からずっと読み続けているのだが、とてもリアルな少年・学生サッカーを描いており本当に面白い。フィールド上だけでなく、学校生活や私生活で起こるいざこざやちょっとしたすれ違いによる不器用な会話のやりとりやその心理描写が生々しくていちいち心に刺さる。

例えば以下のシーンなどまさに”あるある”で、かなり湿気の高かった感がある自分の高校サッカー部の光景が苦々しく蘇ってくる。

 

”「なあ、腹減ったから、どっか寄ってかね?」

米谷の気怠そうな誘いに、宮澤や健二ら何人かが相槌を打った。春休みから練習に参加していたグループだ。

「俺もいいかな」

巧の声色が遠慮がちになった。”

 

今回から高校編だが、高校の部活といえばそれまでに比べ初対面のメンバーばかりが集まることになる。その結果まず最初に起きるのは、同世代内でのヒエラルキーの形成である。高校サッカー部の一人ひとりは自分のクラスや地元の中学に戻れば誰もがヒエラルキーのトップにいる奴らばっかりの中で、部活とその他における自身の二面性に多くの者が戸惑い、受け入れられず傷つき、一方で運よくヒエラルキーのトップに座った者も何か月後かには裸の王様になっていたりする。

後から振り返ればつまらんことで悩んでいたと思えても、当時の部員にとってはその組織でどのポジションにいられるかが、特に1年生の頃は全てである。それは必ずしもサッカーの実力だけで決まるものではない。中学時代の名声、知り合いの多さ、先輩からの可愛がられ方、ワルさなど、多くのノイズが存在する。この揺らぎの中で選手たちは自己を確立していくのである。

 

サッカー漫画にしろ小説にしろ、主役はじめ登場人物の大半は全国区もしくはワールドクラスになっていくというケースが非常に多い。そんな中本書は、決してサッカーエリートではない、"無もなき"選手たちを取り上げるからこその、思春期のリアリティを感じられる貴重なサッカー小説であると思う。

 

以上

| 小説・エッセイ | 20:05 | comments(0) |
伊豆の踊子 / 川端康成

■概要(Amazonより引用)

旧制高校生である主人公が孤独に悩み、伊豆へのひとり旅に出かける。途中、旅芸人の一団と出会い、そのなかの踊子に、心をひかれてゆく。清純無垢な踊子への想いをつのらせ、孤児意識の強い主人公の心がほぐれるさまは、清冽さが漂う美しい青春の一瞬……。ほかに『禽獣』など3編を収録。巻末の三島由紀夫による「解説」は、川端文学の主題と本質についてするどく論じている。

 

■所感

昨年末に伊豆急下田に行く機会があり、その道すがら読んでいた本書。古い日本語や当時の風習などもあり、1回目を読んだ時点では正直それほど心に残らなかったのだが、2周してその物語性に気付かされた。自分から周囲と壁を作ることで傷つかないようにしていた主人公が、踊子の一行と触れ合うことで現実社会と和解していく様子が感じ取れ、とても心に染み入るものがあった。特に別れ際の踊り子の寂しさを隠せない、少しすねたような、しかし素直な感情表現が美しい。そして、別れた後に船の中で出会った少年との会話に心温まるものを感じた。言うまでもなく純文学の美しい名作。

 

”私はカバンを枕にして横たわった。頭が空っぽで時間というものを感じなかった。涙がぽろぽろカバンに流れた”(略)

  少し話してから彼は言った「何かお不幸でもおありになったのですか」

  「いいえ、今人に別れてきたのです」

  私は非常に素直に言った。泣いているのを見られても平気だった。私は何も考えていなかった。ただ清々しい満足の中に静かに眠っているようだった。”

 

以上

| 小説・エッセイ | 21:55 | comments(0) |
手のひらの京 / 綿矢りさ
評価:
綿矢 りさ
新潮社
¥ 1,512
(2016-09-30)

■概要(Amazonより引用)

なんて小さな都だろう。
私はここが好きだけど、いつか旅立つときが来る――。

奥沢家三姉妹の日常に彩られた、京都の春夏秋冬があざやかに息づく、綿矢版『細雪』

おっとりした長女・綾香は31歳、次第につのる結婚へのあせり。一方、子供の頃からモテて、恋愛に生きる次女・羽依は入社早々、職場で人気の上司と恋仲に。大学院で研究に没頭するリケジョの三女・凜は自ら人生を切り拓くべく、いずれ京都を出ようとひとり心に決めていた。生まれ育った土地、家族への尽きせぬ思い。かけがえのない日常に宿るしあわせ。人生に、恋に悩みながらもまっすぐ生きる三姉妹の成長と旅立ちの物語。

 

■所感

綿矢りさらしい、額面を斜めから見るような視点の記述は相変わらず鋭く、そんな著者の京都人評は当然ながら興味深い。そして同じ京都出身者として非常に頷ける。

京都人特有の穏やかなようで穏やかでない何か、怒るや諭すでない”刺す”ような表現、何か出ていくことがおかしいような、出て行っても戻されてしまう圧力、人々を包み込む穏やかな閉塞感、そういったものが非常に絶妙な表現で記されていたように思う。

 

登場人物の設定上、どうしても自分と重ねて読んでしまったのだが、まあ幼少期を振り返ってもウェットな風土だったな〜と思う。悪い点で言えば、”やらしい”言い方をするとか、”間接的な嫌がらせ”をするとか、男同士のいじめでも単純に殴ったり蹴ったりというよりは、仲間時外れにしたり持ち物を隠したり見たいなことの方が多かった気がする。人間関係、特に女性のそれは結構大変なことが多い場所だろうなと思う。

一方で、街の風情や仏閣、様々な施設から漂う年明けっぽい空気感というか清々しさ、ときに新鮮に響くまろやかな京都弁などは、出て行って初めて気づく京都特有の”懐かしさ”であり、今になっては余計に京都のことが好きになっていたりする。

場所も人もとても魅力的で、しかし何とも言えないじめっとしたものが流れる、そんな感じである。まさしく主人公凜の言う通りである(以下)。

 

”なんか、今を逃したら京都から一生出られへん気がしてて、それが息苦しいねん。家族に止められるから出られへんと思ってるわけじゃないで。私は山に囲まれた景色のきれいなこのまちが大好きやけど、同時に内へ内へとパワーが向かっていって、盆地に住んでる人たちをやさしいバリアで覆って話さない気がしてるねん”

 

以上

| 小説・エッセイ | 15:54 | comments(0) |
社会人大学人見知り学部卒業見込 / 若林正恭

■概要(Amazonより引用)

若手芸人の下積み期間と呼ばれる長い長いモラトリアムを過ごしたぼくは、随分世間離れした人間になっていた―。スタバで「グランデ」と頼めない自意識、飲み屋で先輩に「さっきから手酌なんだけど!!」と怒られても納得できない社会との違和。遠回りをしながらも内面を見つめ変化に向き合い自分らしい道を模索する。芸人・オードリー若林の大人気エッセイ、単行本未収録100ページ以上を追加した完全版、ついに刊行!

 

■所感

現在はもう人見知りを卒業したというオードリー若林が、まだ人見知りだった頃に出したのが本書。

ここまでとは…と驚くくらいの自意識の高さだが、だからこそ自問自答の先にたどり着いた答えの中には本質を突くものも存在する。

何より各エッセイの根底を支えるのは、実はどこまでもひたむきな前向きさである。

同じ「人見知り学部生」の読者がきっと共感できるのは、自虐的な内容そのものよりも、この生きづらい世の中を笑いに変えながら懸命に生きる姿勢なのかなとも思った。

 

■メモ

印象に残った部分を抜粋。

  • 「今、幸せですか?」と質問された作家が「…ジェットコースターみたいなものかな」。わざわざ怖い思いをするために時間をかけて並ぶ、絶叫しながら乗る、二度と乗りたくないと思う、でも充実感がある、だからまた次のジェットコースターに並んでしまう。
  • 好きなものは好きでいいじゃない!そうはいかない。好きなものを好きでいるために、自分の感覚に正直でいるために場を選ぶのである。
  • 知り合いのおじいちゃんの言葉「いいかい。この世に存在する理由には二つあって。一つは何かをしているから存在していいということ。例えば、会社にいてちゃんと働いているからその会社にいていいって思えるみたいなこと。二つ目は生まれてきたら、なんの理由も無くこの世界に存在していいということ。リストラされたりして自殺しちゃったりする人は一つ目の理由が全てだと勘違いしている」
  • 何をしているときが楽しいときか、自分を俯瞰を見ていない状態の行動がきっと楽しいとき。
  • 感情を時に隠ぺいする、それが礼儀でいいのではないか。
  • 最初は風習とルールに自分も馴染まなければと、自分の心を変えようとしたけど、それはしなくてもよかった。ルールと風習に従おうとすることこそが重要で、そうすることが「社会」への参加意思を示すものだから。

 

 

以上

| 小説・エッセイ | 00:07 | comments(0) |
人事制度関連書籍3冊の感想

今回紹介する3冊はいずれも人事制度の構築方法を説明したもの。急遽仕事で基礎的な人事制度の基礎的な知識の復習が必要になったためややパニックバイ的に購入した次第。

が、結果的にはほとんど役に立たず終わってしまった。

いずれの本も素人にもわかりやすい作りにはなっているのだが、非常に浅い理論と狭い視野の中で作られた感が否めない。

具体的な問題点としては大きく3つある。

 

問題点 ヾ霑壇な理論に基づいていない

人事制度の理論は深い。人事制度は、それがどれだけ不公平で、どれほど年功的だろうが、多くの場合それが作られた当時はそれなりに合理性があるという事が非常に多い。

ひどい制度に見えても、それは社会が変化する中で制度が古くなっただけであり、だからこそ安易に表層だけを見て変えることは許されない。

その中身の細部の一つひとつに理屈が存在するし、何だったら計算式の係数や割合の一つにも意味がある。

だからこそ制度改定にあたって、等級・評価・報酬の理論をきちんと学ばずにこういった書籍に飛びついてしまうことは非常にリスクがある。

 

その点、『30日でつくれる…』のあとがきには、「理論ばかりを追求した結果、無意味な制度ができるよりは、はじめの一歩を踏み出した方がいい」といった趣旨のコメントがある。

言いたいことはわかるし、制度はどこまでシンプルであるべきだと思う。

が、それは「あえて」シンプルにすることが重要であって、何も知らずにそぎ落とすことは、社員の動機付けのみならず、企業の競争力や法的観点を見逃すリスクを孕んでいる。

人事制度は会社の根幹であり、だからこそそこにはしっかりとした学習と時間をかけるべきであると思う。

 

問題点◆|碓譴諒法だけを紹介している

人事制度に正解はない。会社の数だけ正解があるわけで、そもそも一つの方法論だけを紹介していること自体がナンセンスである。

各書ともにそのあたりの注記がないままに内容が進んでいくため、会社にフィットしないものを作らせてしまう危険がある。

 

問題点 煩雑である

人事制度は今も進化を続けている。最近では、AやBといった評価(考課)を報酬に反映しない会社や、そもそもそういった評価をせずに育成目的の面談だけを行う会社も出てきている。

要は人事部が理論的な無謬性ばかりを追求した結果、社員の誰もが得しない面倒な人事制度になっていることに皆が気付き始めているのだ。

そういう中で、この各書に記載されているような悪い意味で古典的な制度はそれこそ現代に合わない。

『人事・賃金コンサルティング』においてPCのことを著者が「コンピューター」と呼んでいるが、要はそういう時代の、あるいはそういう著者の本であることを認識しておかねばならない。

 

 

というわけで、「誰もが馴染みがあるが、実はめちゃくちゃ深い」のが人事の世界なので、人事制度関連書籍の購入を考えている方においてはぜひ注意深く書籍を選んでもらいたいと思う。

 

以上

 

| 小説・エッセイ | 23:13 | comments(0) |
日本代表を、生きる 「6月の軌跡」の20年後を追って / 増島みどり

■概要(Amazonより引用)

1998年フランスW杯を戦った「日本代表」の物語は終わっていなかった。
W杯初出場の扉をこじ開けた者たちの、それから。

日本代表がW杯初出場を果たした歴史的な1998年フランス大会から20年。当時の日本代表、スタッフはどうしているのか? 様々な人生を歩みながら、彼らは今もあの経験と向き合い続けていた――。

著者が選手スタッフ39人に取材して、初出場した日本のフランス大会を克明に描いた『6月の軌跡』(文藝春秋、のち文春文庫)から20年。W杯ロシア大会を前に、あらためて当時のメンバーにインタビューをし、W杯の扉を開いて以降、それからの人生を追った。
驚いたことにカズをはじめまだ現役である選手が6人もいる他、指導者になった者もいれば、変わらずサッカー界で働くスタッフもいた。彼らの目に今に浮かぶ光景とは。(略)

 

■所感

冒頭の市川の引退試合から始まる旅の始まりの描写には、これ以上ないほどにワクワクさせるものがあった。が、全体を読み終わった感想としては、やはり短いインタビューでは限界があり、話によってはもっと掘り下げて描写してほしい部分がたくさんあった。39人のインタビューということで当然やむを得ないのだが、やや「6月の軌跡」の焼き直しに終わったインタビューも正直存在する。よって、期待値が高すぎた分、やや肩透かし感がある(中田英寿のインタビューがないのも、著者に責がないが、大きなマイナス)。

一方で、著者が言う通り当時の選手たちが今も全員サッカーに関わっているというのは驚きの事実であり、あの最終予選、そしてワールドカップは、選手にとって岡田武史が言う「遺伝子にスイッチを入れる」経験だったのだなと。それは、観ていた側の人間にとってもきっとそうで、特に自分にとって「日本代表」とは今もあの98年の代表であり、大げさに言えば小さな原体験として今も生きるうえでの活力になっている。

いつか自分も、人生の転機となる「遺伝子にスイッチを入れる」ような体験に当事者として身を投じたいと、改めて強く認識できた本だった。

 

以上

 

 

| 小説・エッセイ | 21:36 | comments(0) |
礼儀作法入門 / 山口瞳

■概要(Amazonより引用)

礼儀作法とは何か。それは「他人に迷惑をかけない」ことだと、山口瞳はいう。そのためにも「まず、健康でなくてはならない」と。世に作法の本は数あれど、礼儀を人づきあいの根本から教えてくれる書物は意外に少ない。「電話いそげ」「パーティーの四つの心得」「なぜか出世しない通勤の天才」など、金言の数々も心にしみる。とりわけ社会人初心者に贈りたい人生の副読本である。

 

■所感

偏屈で、しかし憎めない、粋なおじさんの持論が語られている。ところどころ時折ハッとするような表現があり、突飛なようで生きることの本質を突いた良書だと思う。

何気に最も心に残ったのは、山口瞳研究家を自称する作家の中野朗氏によるあとがきで、こうある。

「「箸のあげおろしの一刻一刻が人生だ」という思いは、山口瞳氏の生活者の覚悟である。人生如何に生くべきか、ではない。今をどう生きるかが氏にとって最重要事項だった。」

 

著者は、それこそ灰皿の形や箸置きの品質など、細部に至る生活の品々や品行に持論を述べていくが、この生活への「こだわり」こそがまさにその人の人生を生きるということなのだと思った次第。

 

■メモ

パンチラインは以下の通り。

  • 食べる、飲むと言う事に関して言えば、それで全て事足りるのである。事は足りるのであるが足りないものがある。この足りない部分が、私たちの日常の「生活」であり「味わい」というものなのではないだろうか。
  • 私においては、お茶を飲む、食事をするという、いわば箸のあげおろしの一刻一刻が人生だという気持ちが抜きがたいものになっている。高遠なる理想は私には縁がない。むしろ、小さな食器、それを造った職人の心、そこから人類の歴史にせまりたいという気持ちが強い。

 

以上

 

| 小説・エッセイ | 21:01 | comments(0) |
長野まゆみ/鳩の棲家
とある私立高校の入試のときだったと思うが、現代文の試験の問題文として出題されたのが、この小説だった。登場人物の感情などを書ききらず不明瞭な形で文をつないでいくので、読者の想像の余地が多く、そのあたりが問題文に使われた理由だと思う。

高校受験といえど試験までにはいろいろと受験テクニックを叩き込まれているわけで、特に現代文なんかは暗記云々ではなくそういう側面が大きかった。しかしながら、この国語の試験時間中、自分は主語を見極めるとか主観を排するとかそういったもんを完全に忘れ、物語の世界に没頭していた。

昔の小学校とか古い家屋とか懐かしさを感じる情景の中で、少年たちの美しく、しかし無力な友情が映し出される。試験中とはいえ、旧字体を織り交ぜた簡素な文体で描かれた静寂な世界は、無常で、どうしようもなく、その切なさに胸を痛めずにはいられなかった。


国語の試験が終わり、昼休み。なんというかポッカリと心に穴が空いたかのように、無意識に物思いにふけってしまった。出題箇所もよかったんだろうが、思春期の自分の心には、静かに強く響く作品だった。

受験戦争の束の間の、いい出会いだったなと思う。
| 小説・エッセイ | 20:46 | comments(0) |
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