murasaki

記憶の記録。あるいは独白。
教養としての世界史の学び方 / 山下範久

■概要(Amazonより引用)

大分岐、世界システム論、生態史観、グローバルヒストリーetc.世界のエリートにとってなぜ「世界史のリテラシー」が重要か?西洋中心史観から全世界レベルで歴史を捉えなおす。

 

■所感

取っつきやすい表紙やタイトルとは裏腹のハードコアな中身によりまだまだ理解不足な点もあるが一旦読了。もう少し読み込みが必要そう(ゆえに今回はレイティングも行っていない)。

本書は近代を基準とする歴史観、およびそれによる3つのバイアス(近代の目的視等)に対して、歴史や経済、文化、芸術等の様々な領域から一貫した批判を行っており、読者における歴史観に留まらない空間的想像力の解放に向けた示唆を与えてくれている。

自分はこの本の1つ目の宛先であるビジネスパーソンをはじめとした「広く社会の現場で新しい価値の創造・提供に取り組もうとしている人々」に広い意味で包含される立場にあるが、本書が提唱する思考の在り方は非常に重要になると思う。著者が言う通り、物事の歴史をはじめとした枠組みを捉えなおし新たな価値基準を生み出すうえでは、自分の持つバイアスに自覚的になることは不可欠である。

例えば自分の業務領域である組織・人事もそうであろう。HRテクノロジーをはじめとした個人の属性や感情の徹底来てな定量分析と価値発揮を行うグーグルをはじめとした「先進的」人事部門が、全ての会社の人事部門における単一の線上の先にあるゴールなのだろうか。自分はときに仕事上でそのような単一線のロードマップを用いて無邪気に提案をしたりすることもあったわけで、何となく若干の疑問こそ感じていたものの、その疑問が本書を読むことでより確信に変わった(と共にその浅はかさを改めて痛感させられた)。非情に良い気付きを与えてもらったように思う。

 

■メモ

  • 「科学とは何か」の枠組みは法則定立的アプローチと個性記述的アプローチがあり、歴史は歴史の一回性と自己対象化能力ゆえの人間は歴史の主体であり自由意志で歴史を築くゆえに法則を見出すことは無意味という考え方により後者のアプローチをとる。この場合、科学的であることは、状況の個別性をできるだけその状況の個別性そのものに即して再現することに向かう。
  • 近代を基準とするバイアスは3つ。ゞ畭紊量榲視。自らの所属する現代を肯定しているほどそれが強まる。⇔鮖砲亮臑療単位としてのネイション。近代化の尺度で評価できる変化が観察されない社会に対して「歴史がない」という切り捨てを行う事。ネイションの境界をまたぐ集団や交通が警視れたり、人間中心的な歴史観につながったりといったことが起こりうる。ヨーロッパ中心主義。古代、中世、近代というヨーロッパ視点の歴史観を太に当てはめようとしている。重要な枝葉が切り取られ、モデルに合う部分だけを評価することになってしまう。
  • 世界システム論。ウォーラーステインは近代化論の背後にある考え方を「発展主義」と呼び、それを「あらゆる国家は発展を目標としており、その発展への進歩は測定可能、かつ合理的な政策によって加速可能である」という考え方だと要約したうえで、それが個々の国家の埋め込まれている世界システムにおける歴史的な関係性を無視していると批判した。世界史における近代システムは、資本主義的な世界=経済として位置づけられた史的システム、すなわち「近代世界システム」として捉えるべきだと主張した。システムの内部は中核、半周辺、周辺に区分され、個々のネイションはこれのどれに属するかによって歴史のコースが強く条件づけられると説いた。
  • 世界システム論はシステムの内部でヨコの連続性を強調する見方を導入する一方で、近代世界システムを含むより大きな世界史の時空においては、むしろ史的システムを実体的に閉じた「世界」としてのタテの連続性をより強調してしまう特徴があった
  • 近代を目的とする歴史観に対する批判とは、近代を批判することではなく、近代(特にヨーロッパの経験から抽出された近代)を、全ての社会が最終的にたどり着くはずの歴史の唯一の均衡点であるという考え方を解除して歴史を見ること
  • ヨーロッパ中心主義の形式の水準。ヨーロッパ中心主義を批判しようとする際に、アジアやアフリカが如何に歴史の主体であったか、近代の世界を構築する上で能動的な役割を果たしていたか、を主張するとき、ヨーロッパとそれ以外を分ける発想で想像された世界地図を前提にしており、結果的には歴史の書き方としては同じ形式の偏見を再生産するだけになってしまう
  • 大陸に自然科学的な定義はない。ヨーロッパはしばしば大陸と呼ばれるが、陸地の形状のみからすると客観的な根拠はない
  • 指摘 Ф間的想像力の基礎となる様々な地域の区分について、それがどのような視点から括られたものか、どのような文脈で形づくられたものかに注意を払うこと
  • 指摘◆О榮阿筝鯆未亡愎瓦鮓けること。私たちはまず地域的な分節があり、その境界線を超えることが移動ととらえがちだが、人やモノの移動が先にあってその移動の流れが作る渦が空間的なまとまりを構成すると言う方が歴史の実相に近い。前者の見方では歴史や世界を見る際の想像力を狭くしている
  • 日本の婚外子率はヨーロッパの最低の水準にあるギリシャを下回る3%未満。EU地域では家族を重視する傾向はあっても、婚姻届けを重視する意識はそれほど強くない(キリスト教信仰者を除いて)。日本は家族を結婚に結び付けて捉える。このようにEUと東アジアは少子高齢化や家族形態の多様化では類似性があるが、必ずしも歩んでいる道筋は一致しているわけではない。

以上

 

| 学術書・研究書 | 21:00 | comments(0) |
ハーバード・ビジネス・レビュー[EIシリーズ] 幸福学 / ハーバード・ビジネス・レビュー編集部

■概要(Amazonより引用)

経済的に豊かになったとしても、科学技術によって便利な世の中になったとしても、はたして人間は幸せと言えるのでしょうか。ビジネスにおいても、報酬のためだけに働くのではなく、働く目的やキャリアのあり方が見直されてきています。そのような時代にあって、ビジネスは、マネジメントはどう変わるべきでしょうか。幸福学が世界的に注目されるきっかけとなった名著論文、欧米のエグゼクティブの間で話題となった記事を、この1冊にまとめました。

 

■所感

アメリカでは年収75,000ドル以上は経済力と幸福度が必ずしも比例しないという。では、幸福とは、そして幸福感を得るためにはどうすればいいのか、それが気になって読んでみたのがこの本。

前半の章の中心になっている「地位的財産より非地位的財産が重要」という主張は、それ自体は巷で何度も聞かれている話である。こうした主張は心情的には同意できるが、一方で一般論というか願望を言っているだけではないかという気もする。しかも、このEIシリーズは背景となっている学術的なデータを示さず学者の主張がメインになる傾向があるため、納得感と信憑性が乏しく空想感が強いため、正直あまり刺さるものはなかった。

むしろ後半の幸福感を重視する世相に対する批判的な見方 ー例えば「仕事に幸福感を求める人は、しばしば感情的な飢えをおぼえる。さらに期待通りの反応が得られない場合、過剰な反応に至る」など −の方がより「幸福」を真剣に考えているように思えた。幸福とは一時的な感情ではなく「長期的達成」であるというのはその通りだと思う。

 

 

■メモ

  • アメリカの会社は短期的な幸せHAPPINESSを、日本の会社は長期的な利他的な幸せに着目する傾向がある
  • ギャラップの報告によれば、エンゲージメントの水準は長年経済の浮き沈みにかかわらず変わっていない
  • 適度に挑戦しがいがあるとき、人はもっとも幸福であることがわかっている
  • 創造的な仕事の生産性を促すのはインナーワークライフ、つまり感情、モチベーション、認識の相互作用の質
  • 仕事が意義を失うとき、1、仕事やアイデアの重要性を省みない、2、当事者意識を失わせる、3、いまの仕事が日の目を浴びることはないというメッセージを発する、4、顧客の優先順位の変更を伝え損なう
  • 相次ぐ研究で、職場満足度と生産性の関係で矛盾する結果が報告されている
  • 幸福の追求は疲弊を招く。マイナスになることすらある
  • 仕事に幸福感を求める人は、しばしば感情的な飢えをおぼえる。さらに期待通りの反応が得られない場合、過剰な反応に至る。自分を幸福にしてくれるのが上司だと思うと感情的にもろくなる
  • 幸福の追求は孤独につながることもある。幸福感を重視する人ほど孤独な環境で孤独感を感じやすいことがわかった
  • 幸福の追求というより、長期的な達成という方が適切
  • 日々の生活で幸福を感じていれば長期的な達成につながる、は間違い
  • そもそも人々は、幸福とは何かを厳密にはわかっておらず、その測定方法も知らない。幸福を測ることは魂の温度や愛の色を特定するに等しい
  • 台頭したばかりの中産階級にとって、怠惰や悪弊はパフォーマンスを低下させるばかりか、充足感までをも奪ってしまうと信じる方が都合がよかった
  • アメリカ人は幸福の希求と人間の死の折り合いをつけることに、誰よりも熱心であった。誰しもが抱く恐怖や悲しみの軽減を目的とししたため、精神的報酬の再定義として多くの共感を呼んだ
  • 1920年以降に幸福ブームが起きた。書籍にとどまらず、仕事と幸福を関連づける動きに拍車がかかった
  • 1960年以降は消費者主権運動であるコンシューマリズムは、製品と幸福を結びつけることで売り上げに拍手がかかることに気づいた。これこそ、今日まで幸福が引き継がれた理由

 

以上

| 学術書・研究書 | 13:47 | comments(0) |
文化と実践―心の本質的社会性を問う / 石黒 広昭, 亀田 達也等
評価:
石黒 広昭,亀田 達也,山岸 俊男,石井 敬子,佐伯 胖,北山 忍
新曜社
¥ 3,190
(2010-01-05)

■概要(Amazonより引用)

伝統的に心理学は、個人の心ばかりを研究し、文化や民族性など、文化的な所産としての心の研究はないがしろにされてきました。しかし今、大きく変わろうとしています。この本は、日本を代表する六人の心理学者の競演です。心を社会的に生み出されるものとして捉えながらも立場を異にする三人の心理学者が自らの考えを開陳し、さらに別の三人がそれを批判的に検討するという構成です。硬派な本ですが、スリリングな議論が楽しめること請け合いです。

 

■所感

本ブログでも何度か紹介している文化心理学関連の本の中でも割と専門的な本書。

一般的な心理学では人間には共通の心理的傾向があるということをスタートにしているが、本書の取り扱う心理学は、文化心理学以外も含む「文化」の心理面に対する作用を検討している学術領域である。「国民性」「日本的」「和風」といった日本人の精神性を意味する語句の本質について疑問を持っている人にとっては、検討のスタートとして参考になる本であると思う。

また、内容は専門的ではあるものの、全編にわたってかみ砕いて説明してくれており、自分のような素人にもわかりやすい内容となっている点も良い。

 

■メモ

  • 文化への制度アプローチ 
  • 想定している人間像はゲーム・プレイヤーとしての人間像。他の人の気分を害する可能性がある行動はできる限り避けるという原則に従って行動している。周囲の人達を意識しながら自分にとって最良の一手を選択しているわけではない。特別な理由がない限り、他人から悪く思われる可能性がある行動を避けるという「デフォルト」戦略を多くの場合とっている。(すき焼きの最後の一切れに手を出さないのはそれを当たり前と思っているだろう)
  • 日本人の自己卑下の傾向は、評価を報告する理由が明確でない場合に発生
  • 制度アプローチは文化心理学に「行動の結果」を導入する事を目指すもの。行動の背後に価値や選好を見るのではなく、行動の結果としてもたらされる利益と損失、その行動を引き出す誘因を見るアプローチ。文化の安定性は誘因の安定性を意味する
  • 制度アプローチへのコメント:人々の選択行為の背後に共感とコミットメント(社会的弱者の利益を優先)が意思決定の中に埋め込まれていると考えるべき。つまり個人の誘因に基づくと言うより、そういう選択が社会にとっての公平性・平等・正義などについての、その個人なりの態度決定として選択行動をしているという考え方が必要

 

  • 文化心理学アプローチ
  • /祐屬文化の中にいきることによってそれに適応した心の性質を持つこと、同時にそうした心を持った人間が文化に生きる中で文化内に存在する諸資源を取捨選択していくことを通じて文化を維持していくこと、の2点から「心と文化の相互構成過程」を想定している
  • 文化とは「歴史的に取捨選択され、累積してきた慣習、概念、イメージ、通念、それらの体制化された構造、さらにそれらに基づいて作られた人工物の総体」

 

  • 日本にいると萎縮している自分がアメリカに行くと急に生き生きとするように感じていたころ行った研究がある。ある状況は、それに対応した心理傾向を100%決定しないまでも、同時にそれを誘発するという点が重要。状況要因の関数で行動が変わるということと何らかのスキーマがあるという事は全く矛盾していない

 

以上

| 学術書・研究書 | 19:35 | comments(0) |
「見せかけの勤勉」の正体 / 太田 肇

■概要(Amazonより引用)

「こんなに残業しています。だから、認めてください」
――あなたの心の片隅にも、こんな考えがありませんか?

働く環境において特殊な状況にある日本。
有給休暇はあまりとらず、残業も多い。
しかし、「仕事に対して非常に高い熱意を感じている日本人はわずか九%」という調査結果がある。
つまり、日本人の九割はやる気が無いのだ。
勤勉で知られる日本人のそうした実態が、国際競争力の低下を招いている。
本書では、そうした日本の労働環境を「やる気」という観点から鋭く分析していく。

たくさん働くけれども、やる気がない。
やる気のアピールは多いが、実体がない。

そんなやる気のパラドックスと呼べる現象の要因は、「五つの足かせ」と「二つの主義」だった――。
人事管理研究の第一人者が説く、新しい労働観と管理論とは?

 

■所感

学術的な観点から「見せかけの勤勉」の説明とそれを打ち破るための示唆を提供してくれるものと期待して読んでみたが、その観点で言えば基本的に主観要素が強く根拠が薄い印象を受けた。また、導き出される結論自体に目新しいものもなかったため、自分の期待とはそぐわなかった。

 

■メモ

  • 労働政策研究・研修機構は、成果主義の導入の有無と売上高及び経常利益の変化率との関係を分析しているが、両者の間に統計的に意味のある関係は見いだされなかった。
  • 仕事がいっぱいで帰れないのではない。評価を気にして帰れないとは言えないから、業務がいっぱいで帰れないと言う。

 

以上

| 学術書・研究書 | 21:07 | comments(0) |
大人になるためのリベラルアーツ: 思考演習12題 / 石井 洋二郎、藤垣 裕子

■概要(Amazonより引用)

本当の「教養」とはなにか?「絶対に人を殺してはいけないか」「真理は1つか」など、簡単に答えの出ない問題と格闘し、異なる専門や価値観をもつ他者との対話をとおして真の「大人」になるための思考力を鍛える。東京大学による新しい教養教育の試み。

 

■所感

とても面白かった。

根源的な問いをめぐる学生間の議論によって、徐々に重要な示唆が導かれていく様子はエキサイティングである。例えばいじめ問題に関する記述にはこうある(記憶ベース)。

 

”「差異があるから差別が起きる」のではなく「差別をするために差異を作り出す」という倒錯した状況がいじめ問題にみられる。したがって、差異が見えにくい同質的な集団ほどかえって、むしろ無理に差異を捏造しようとして特定の対象を排除する機制が作動しやすいと言える”

 

教養とは知識でなくモノの見方であることを実感として感じられる良書であり、万人にお勧めしたい一冊。

 

■メモ

  • 引用とは他の論文との差異を強調し、ほかの論文群の中に当該論文を位置づけする役割を果たす「コンパス」であると考えられる。引用によってもとの論文の意味はつねに再配置される
  • 文系の場合は、もとより著者の思考過程の方が結論より重要であるから、文章の記述そのものに明確なコピペがある場合は、量の多寡にかかわらず学術論文として致命的であるというのが一般的な考え方
  • グローバル人材の定義に共通する基本的な事項、 ̄儻賣呂妨造蕕此語学力全般とコミュニケーション能力の重要性が謳われている、異文化への理解と同時に、「日本人としてのアイデンティティ」も要求されている、6調性や積極的に加えて、責任感や使命感といった倫理感側面も強調されている
  • 原則的に許されるか、自分の問題としてどう思うか、で結論は異なる
  • 研修の主催者によれば、大企業には人間=自分と思っていて、自分の考えが相対化されていない人が多い。他者の人を聴けなくなっている人が多い。ゆえに他者の話を聴いて自分と向き合うということをする。日頃目の前のソリューションばかりを考えている思考にアカデミズムの側から相対化の視点を与える。
  • 「文学もfactに則ってもちろんやるんですよ。でもあるところから飛ぶんだなきっと」「飛ぶんだろうね、飛んじゃいけないだよね、科学は」「文学は飛んでいいんですよ、無責任なんです」・・・「無責任さを一回追求してみたらどうかと思うわけ。責任を果たそうと思っている限り飛べないんですよ」
  • 根源的根拠をめぐる問いは、今、こうであるという現実を維持するための「記述的説明」機構によって一時的に明快に説明される(人を殺してはいけないという倫理は絶対の価値を持つものでなく、共同社会の成員が相互に共存を図るためにこそ必要という平凡な結論)が、解決できない矛盾が現れて根源的根拠の問いが再び現れる。この相互作用で理解が進む。
  • 「差異があるから差別が起きる」のではなく「差別をするために差異を作り出す」という倒錯した状況がいじめ問題にみられる。したがって、差異が見えにくい同質的な集団ほどかえって、むしろ無理に差異を捏造しようとして特定の対象を排除する機制が作動しやすいと言える
  • 対話によって深まるステップ、〆弘曚稜Ъ院↓∩蠍濔鞠А兵分が大事にしているのと同じだけの価値が相手にもあることを相互に承認する事)、自己の変容、す膂
  • なんか変だよね、が差異の発見であるが、それがどういう差異なのかを発見させ、言語化させるのが教育であり、発見・言語化できないと不安につながり、それが差別になるのではないか。
  • 差異がどうして差別に横滑りしていくかというと、差別とは同質性の確認。2人しかいないと差別は生じない。ところが3人いると、2人が同質性を確認する事によって、残りの一人を差別するという構造が生まれてくる。同質性は幻想。みな同じはずがないのに。差異と差別のメカニズムはそのようなもの
  • ほかの誰とも違うという事を皆で目指せば同質性の確認が必要なくなり、差異を強調する必要性が減るのでは。例えばフランスでは「あなたは他の誰とも違う」は誉め言葉。日本ではどうか。
  • 「私」はいくつもの「私」の集合体であり、しかも常に変容を繰り返す運動体であることを実感できるようになったとき、人は言葉本来の意味をにおいて「他者を理解する」ことができる。そして「大人になる」とは、まさにこうした「やわらかいアイデンテティ」を獲得することにほかならない
  • 教養というのは、自分の中に多種多様なパースペクティブを持つことにほかならないと思う。それによってある問題に対して多様なアプローチができる。私の中に無数の分人を持つことが教養になるのだ。しかしそれが同じレベルで内在してしまえば自己同一性が失われて思考の向かっていく先が定まらない。そこに専門の意味が現れてくる。

 

以上

| 学術書・研究書 | 15:01 | comments(0) |
ワインで考えるグローバリゼーション / 山下 範久

■概要(Amazonより引用)

  日本ソムリエ協会認定ワインエキスパートの資格をもつ歴史社会学者によるグローバリゼーション入門講義。
  現代社会における「グローバリゼーション」の問題について、リアルに考えるためのひとつの導入的視角として、ワインという具体的なモノに注目し、モノの視点から入ることで、抽象的な概念の水準で思考停止させることを避け、また他方で特定のイデオロギーに、グローバリゼーションのリアリアティを還元することも避けることをこの講義の目的とする。(後略)

 

■所感

本書は、文庫版では『教養としてのワインの世界史』というタイトルで発売されている。

デジタル大辞泉によれば、「教養」とは「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力」という意味を持つらしい。その意味で本書は、ワインとグローバリゼーションの歴史に留まらない、新たな理解の視座を与えてくれる良書である。

特に中盤の「パーカー」の登場とそれ自身が権威化し、それに対立する概念として生まれた「テロワール」がまたもレッテル化していく過程の考察はとてもドラマチックであり、さらにそうした二元論の問題点を「グローカル/グロースバル」と「実在/無」の4象限の分類を通したその後の考察は明快で納得感があり気持ちが良い。なんというか自分自身の「思考の癖」を的確に指摘されたような気持ちになり、読後感としては蒙を啓かれたような気分になる。

あとがきによれば本書は、グローバリゼーションという抽象的な概念を、ワインという実物を通すことで分かりやすく伝えようとする試みを行いたかったということだが、もっと言えばこのグローバリゼーションとワインを通して、単純化された物の見方に対する警鐘とメタな視点で既存の枠組みを捉えることの重要性(とその快感)を伝えたかったのかなとも思う。

よって本書の対象は、社会学を学ぶ学生やワイン好きに加え、普段効率化・単純化されたフレームワークの中、スピード重視で短期的な最善解を求められているビジネスマンのような人種にも有益かもしれない。ベースの思考の次元を変える良いきっかけになるだろう。

 

■メモ

  • およそ起源なるものは必ず後から見いだされるものであり、そしてより重要なことに、常に特定の視点から見いだされるもの
  • 新しい変化というものは本質的に、その変化が何をもたらすものかは予め知らない。だから変化は、それが根源的であればあるほど、当事者にとってはさしあたり直前の過去を否定することでしか表現できない
  • 近代に入ると事態は逆転する。すなわち伝統という枠の中に再帰性があるのではなく、再帰性という基盤のうえに(伝統も含めて)あらゆる社会的活動が正当化されるようになった。具体的に言えば何をするにも「なぜほかの仕方でなく、その仕方でするのか」という問いに、少なくとも潜在的には答えを用意していなければ、その行為が正当化されないということ
  • 豊かな社会を生きる私たちはつい忘れがちだが、ほんの100年ほど前まで世界は物質的欠乏から自由でなかった
  • 柔軟性が鍵となる経済、できるだけ固定資本を持たずに、多品種少量生産で無在庫経営を目指す経済、これをポスト・フォーディズムという(ジャストインタイムなど)
  • 高付加価値品の付加価値の源泉は移ろいやすい。ブームが去る前に在庫をなくし、次のブームに乗らなくてはいけない
  • フォーディズムによって工業化した農業もまた、ポストフォーディズムの流れの中で今度は情報化を遂げている
  • 必要と欲望、物理的消費と記号的消費を区別する基準は、その商品を買おうとする動機に「他者の視点の介在」があるか。ひらたくいえば「人が欲しがるものだから欲しい」「うらやましがられたい」ということ
  • 「テロワール」がいわば管理された不衛生さによって意図的に演出された「パーカー的なワイン」からの逸脱に張られたラベルと化しているという現実。テロワールは(実質から乖離した)記号としての価値に還元されており、そしてその記号としてのテロワールの実質の部分を埋めているのは、むしろ生産者の個性だということ
  • 変化とは人間と自然のあいだの関係のネットワークから生ずる相互作用・相互影響の連鎖であるということ。(著者が)批判しているのは、どこかにその変化を一元的に統御する主体なり論理なりがあるという前提に縛られてしまう発想。
  • ワインの楽しみはただおいしいかおいしくないかだけでなく、このワインのおいしさとあのワインのおいしさはどう違うのかということについての思索と表現を通じて、単なる感覚的快楽以上のものになりうるところに大きな比重がある。「難しいことはいいから、自分がおいしいと感じるものを素直においしいと思って飲めばいいんだよ」というのは、一見正論のようで、かえってワインの深い楽しみや豊かさへの入り口の在処を隠してしまいかねない
  • モノの多様性を読み解くコードとして記号が重要
  • (マクドナルド化について)元々合理化というのは、非効率性や不確実性を排除していくことで、人間が持つ自由を最大限に発揮できるようにする目的であったはずが、他方で合理化の外部にある人間の立ち振る舞いを次第に許容しなくなる
  • オッカムの剃刀 … 少数の論理でよい場合は多数の論理をたててはいけない
  • グローカルな無からグロースバルな存在へは、グローカルな存在(モノの次元で何らかの個性を与え、それに輪郭を与える言葉を紡ぐことで、特定の範囲の消費者の忠誠を確保するルート)orグロースバルな無(徹底した合理化による持続的欲望を形成するルート)
  • ポストフォーディズム化は、生活者の視点から見ると、日常と非日常が空間的にも時間的にも溶解していく過程
  • ワインの世界におけるグローバリゼーションを語る言説は、しばしば「パーカー」と「テロワール」を対置し、画一性と多様性、作為と自然、果ては資本の論理と職人の論理といった貧しい対立の構図に陥ってしまいがち。しかし実際のところ、その対立は、同じように現実から遊離した双子のイデオロギーだというべきだろう

 

以上

 

 

| 学術書・研究書 | 22:30 | comments(0) |
代表的日本人 / 内村鑑三

■概要(Amazonより引用)

内村鑑三(一八六一―一九三〇)は,「代表的日本人」として西郷隆盛・上杉鷹山・二宮尊徳・中江藤樹・日蓮の五人をあげ,その生涯を叙述する.日清戦争の始まった一八九四年に書かれた本書は岡倉天心『茶の本』,新渡戸稲造『武士道』と共に,日本人が英語で日本の文化・思想を西欧社会に紹介した代表的な著作である.読みやすい新訳.

 

■所感

今回読んだのは「読みやすくしましたシリーズ」の方。

本書で取り上げる人物はいずれも知らない人がいない偉人たちだが、その性格は個々でかなり異なっているように見える。しかし、彼らに共通するのは確かな「正義」と不器用でもそれを貫く「気骨」であると言える。そしてそれは、時に当時の日本人の特徴と言われた「忠誠心」や「愛国心」とは全く異なるものである。

あえてそんな彼らを「代表的日本人」と呼ぶ背景には、当時の日本人の在り方への憂慮があったのだろうなと思った次第。

 

■メモ

  • 「日本人の特性とされがちな盲目的な忠誠心や極端な愛国心とは別の、日本人の良い特性を、世界に伝える一助となることが目的
  • 人は克己心によって成功し、利己心によってしくじる」(西郷)
  • 「どんな形であれ国の名誉が損なわれている場合、政府が行う事ははっきりしている。そうすることで国の存在が危うくなるとしても、義と正義の道にとにかく従うことである」(西郷)
  • お金は多くのことを可能になするが、徳はそれ以上のことを可能にする(二宮←内村)
  • 「先生」とはこの世に先に生まれたから先生ともいうが、本来の意味はこの世の真理を先に会得したから先生である(中江←内村)
  • 「学者とはその徳に対する呼称であって、学識による呼称ではない」(中江)という考え方で徳と品格を最重視していた
  • 「誠実・正義・人の道が目的」(中江)
  • 藤樹にとって正義とはそれ以外に動機を必要としないもの
  • 無宗教の人という表現はよく耳にする。これは単にいかなる宗教にも入信していない、教え導いてくれる存在としての聖職者を一切認めていない、偶像を崇拝していない、というだけのこと。こういう人にも信仰心はあり、心の中の不可解なものを何らかの方法で制御しているだけ。
  • 信仰とは、その人なりの人生の解釈であり、争いばかりのこの世界で生きていくには、人生を何らかの形で会社することが不可欠。何より「死あるところ、必ず宗教あり」

以上

 

 

| 学術書・研究書 | 00:28 | comments(0) |
ボスだけを見る欧米人 みんなの顔まで見る日本人 / 増田貴彦

■概要(Amazonより引用)

欧米にもKYはあるか、日本人と欧米人の目に映る光景はまったく別物!?人がみな同じ現実を見ているとは限らない。文化によって物事の見え方が違う、驚きの大発見。文化心理学が明らかにした心と文化の不思議な関係。

 

■所感

文化心理学の入門編としては最適な一冊。そもそも心理学とは社会や文化というものを取り払って、全人類に共通する普遍の心の在り方を解き明かそうとする学問だが、文化心理学はその考え方に一石を投じる非常に興味深い学問。

特にビジネスの環境においては、経営層の閉鎖的・不可解な意思決定や組織内の非効率的なコミュニケーションなど、明らかに日本企業特有とも思える会社風土が共通して存在しているわけで、本書は長年続くこれらの問題の本質をとらえる一助になるかもしれない。

どうすれば日本人(東洋人)の心理的特徴をポジティブに発揮させられるか、この一冊からより思索を深めていけそうだ。

 

■メモ

  • 従来の心理学が人間の内部だけに目を向け、外部的な情報(文化的要因や社会的要因)は「人のこころとは何か」を理解するのに、それほど重要でないとされる思考の偏りが多くの研究者で共有されてしまった。
  • 文化心理学は「人は決して真空状態で生きているわけではない。社会・文化という豊かな要因があってはじめて、人は人となる」という理論的前提によるアプローチ。それぞれの文化に生きる人がどのように相互理解を確立するかがテーマ。
  • 文化心理学者自体が自国文化のバイアスを受けていることは認めざるを得ないが、それに自覚的かどうかで大きく違う
  • 自らの人生をマージナルな位置に置くことは、文化心理学という分野に携わる者にとっては、宿命的な部分がある。つまり、常にその文化の主流の場所に身を置いていないが故に、それぞれの文化を覚めた視点から見ることを強いられている
  • 私たちのこころは、物理的な機能以上のことを経験によって身に着けて、水かあ、物理的な現実を越えた私たちなりの現実を構成している(実験:目の錯覚)
  • 人は望ましい結果のほうを期待し、望ましくない結果を期待する(実験:曖昧な文字(Bと13)では苦いジュースより甘いジュースを期待)
  • 「人が死んだあとは?」など、意味づけのできない現実を目の前にすると、なんだかむず痒いもの。少しでも曖昧さを軽減するために、その社会で生きている人たちが共有するものの見え方によって、社会の中で「あたりまえのこと」(社会的な現実の構築)として納得されていくケースが多い
  • マーカス博士と北山博士の自己観の2つのモデル。相互独立的自己感、相互協調的自己感。
  • 東アジア系カナダ人は、記憶を手探る場合、本来ならばありえない第三者的な視点で物事を振り返る。これは相手の困難な感情・状況を欧米人に比べ性格に理解する力につながる
  • 一人称的な視点、三人称的な視点のそれぞれはパターンを変えられる可能性がある(例えば一人称の人は鏡を見て話してみる)

 

以上

| 学術書・研究書 | 19:04 | comments(0) |
失敗の本質 日本軍の組織論的研究 / 戸部良一ほか  
評価:
戸部 良一,寺本 義也,鎌田 伸一,杉之尾 孝生,村井 友秀,野中 郁次郎
中央公論社
¥ 823
(1991-08-01)

■概要(Amazonより引用)

敗戦の原因は何か? 今次の日本軍の戦略、組織面の研究に新しい光をあて、日本の企業組織に貴重な示唆を与える一冊。 

 

■所感

言わずと知れた名著である。本当に胸糞の悪いエピソードばかりである。しかし残念ながら、結局にここで描かれている現象(規律より慣行、合理より情理、ご都合主義、責任者不在)は、現代の官公庁、日本企業でいくらでも起きている光景である。もはや国民性といって差し支えない。

逆に言うと、そうした日本人の性弱説に立って組織を設計・運営することが依然として最重要であるとも言える。改めてそうした基本的な戒めを思い出させてくれる一冊である。

 

以上

| 学術書・研究書 | 21:15 | comments(0) |
サイコパス / 中野信子

■概要(Amazonより引用)

とんでもない犯罪を平然と遂行する。ウソがバレても、むしろ自分の方が被害者であるかのようにふるまう…。脳科学の急速な進歩により、そんなサイコパスの脳の謎が徐々に明らかになってきた。私たちの脳と人類の進化に隠されたミステリーに最新科学の目で迫る!

 

■所感

知人から勧められて読んだ本であるが、うーん…不思議な本である。

まず、そもそも「サイコパス」が最初から最後まで定義されない。様々な文献を基に特徴は列挙されているのだが、そもそも「サイコパスとは何なのか」が定義されないまま話が進んでいく。ちなみに、著者の話を総合すると、「外見や語りが過剰に魅力的で、ナルシスティックである」「恐怖や不安、緊張を感じにくく、大舞台でも堂々として見える」「多くの人が倫理的な理由でためらいを感じたり危険に思ってやらなかったりするとことも平然と行うため、挑戦的で勇気があるように見える」「お世辞がうまい人ころがしで、有力者を味方につけていたり、崇拝者のような取り巻きがいたりする」等々(他にもいくつもの特徴が随所に列挙されている)の特徴があるとのことだが、本質的に何を指すのかがはっきりと示されない。

にも関わらず、やれ「勝ち組サイコパス」や「負け組サイコパス」がいると言ったり、サイコパスをモテる理由を唐突に持ち出したり(妙に学術から離れた俗っぽい表現や話である)、有名な大量殺人犯から炎上ブロガー、オタサーの姫、果てには織田信長、毛沢東、マザー・テレサまで、サイコパスであった可能性がある等と言ってみたりと、全く言説が腑に落ちてこない。

何より、一冊を通して著者の主張がない。あらゆる学説を部分的に引っ張ってくるものの、この本を通して何を言いたいかが存在しないため、「So What(だから何?)」が付きまとうばかりである。文章表現も、「…かもしれません」「…という考え方もできるでしょう」「…多いそうです」などといった表現が多数存在する。

強いて言えばあとがきに「(サイコパスについては)残念ながら議論が尽くされているとは言えません。(中略)好むと好まざるとにかかわらず、サイコパスとは共存してゆく道を模索するのが人類にとって最善の選択であると、私は考えます」と締めているが、そりゃそうだろうと。「君、サイコパスだね。死刑!」と殺していくわけにはいかないんだから。

 

まあそもそも、帯の妙にゴシップな雰囲気や、冒頭で脈絡もなく「私はかつてMENSA(人口上位2%の知能指数を有する者が入れる団体)のメンバーでした」との記述等、本書の底が知れる個所がいくつもあるわけで、そのあたりで一旦読み進めるか考えるべきではあった。

それにしても知人はよく本書を他人に薦める気になったなと。不思議な思いは募るばかりだ。

 

■メモ

数少ないが。

  • 著者の主張で一貫しているのは、サイコパスは他人の痛みへの共感が乏しい、ということ。
  • 偏桃体は人間の快・不快や恐怖と言った基本的な情動を決める場所。サイコパスは偏桃体の活動が低い、とのこと。

 

以上

 

| 学術書・研究書 | 14:53 | comments(0) |
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